神様からのプレゼント〜2つ目の宝物〜

 

1992年、上の子が2歳半の9月、両実家がある茨城に戻った。

両実家は車でそれぞれ15分位の位置関係。

だんな様が、後々親に何かあった時、親の近くに住んでいたいという考えだったので、

子供が幼稚園などに入る前に落ち着きたかった。

このあたりでは珍しい7階建ての新築マンション(どう見ても団地仕様だが・・・)。

当時、バブルがはじけた直後で不動産は値を下げ始めたところ。

頭金ゼロの私たちにも買えると、当初より500万円値の下がったマンションを35年ローンで購入。

初めての内覧では、もう嬉しくて嬉しくて・・・。

それまで、6畳一間のアパートから始まった私たち。

子供が産まれて2DKのアパートに移り、今度は持ち家!!

飛躍的な進歩に思えた。玄関を開けて

「廊下があるぅ!」と大喜びしたものだ。

それが今では、その同じ価格で土地付き一戸建てが手に入る。

にもかかわらず、飛躍的進歩により手に入れたマンションの査定は、当時の半額にも満たない。

仮に売れても家を建てるには、借金の額が大きくなりすぎる。

この田舎に住みながら、なぜに庭がない・・・と嘆きながら、

もうしばらくはこのマンションで快適を求めながら生活していくしかなさそうだ。

 

両実家のすぐ近くに戻り、我が家も落ち着いたころ、2人目を考えていた。

1人目を予定外に授かっているので、すぐにでも出来るものだと思いこんでいた。

そんなとき、私の実家の父が脳梗塞で倒れる。

大事には至らなかったものの、2ヶ月あまりも実家で寝泊まりすることになった。

精神的ショックが続いたのが原因だったのか、5日と遅れない生理が止まり、

すわ妊娠かと複雑な思いで検査薬を使った。

次の年の初夏、やっと2人目を授かった。

ちゃんとした検査を受けるべく、1人目の出産時に大変な経験をした病院を訪れた。

例の先生はもういないし、そこの病院では評判の先生が診察担当の曜日を調べてから行った。

検査薬では確認していたが、待望の2人目の妊娠。

「おめでとうございます」

と言われてみたい・・・そんな期待感を胸に診察室へ入った。

上の子の時もそういう状態ではなかったので・・・。

白髪の貫禄のありそうな無口な先生の前に座ると、信じられない言葉が・・・。

「全く計画性がない。前に中毒症をやっておきながら冬の出産になるとは常識はずれだ。」

・・・そんなぁ・・・である。

1人目の産後の検診の時にも、そんな話は全くなかった。

勉強不足と言われてしまえばそれまでだが、私が先生にしていた本の数々には

そういう注意は見当たらなかったように思う。

うちのめされているところへ追い打ちをかけるように

「子宮筋腫の気配があるね。これは経過を見て、このまま出産できるか、

その前に摘出することになるかわからないが、今どうという事ではない。」

その言葉の全てがあまりにも事務的で冷たかった。

質問する気力もなくなっていた。

 

茨城に戻ってから、夫婦で私の母の会社を手伝っていた。

母は、自然化粧品を中心に販売・卸の会社を経営。

その中で、自然食品のお店を作り、任されていた。

これが、自営生活の始まりである。

 

常にだんな様がそばにいる安心感もあってか、順調だった。

その後、怖くて自分からは口に出来なかった子宮筋腫も問題なかったようで、

先生も触れることはなかった。

今度のお産は自然分娩の先生だから安心、・・・そう言い聞かせていたにもかかわらず

最後の検診の時に、担当の先生が代わった。

例の冷たかったベテラン先生は、定年退職してしまったのだ。

なんたることか・・・。

しかし新しい先生は、前回中毒症だったけれど、今回は体重の増加を抑え、

中毒症にならなかったことを誉めてくれた。

穏やかに話をしながら、出産直前の不安をも取り除いてくれた。

期間は短かったけれど、安心して任せられると信頼できた。

 

自宅で1人待機するよりは、だんな様のそばにいた方がいいと、

おしるしがあった出産の前日夜まで一緒に仕事をしていた。

壁を隔てた隣には母もいる。

2人目で、お腹の中で大きく育っているにも関わらず、

7ヶ月位まで逆子だったのが手伝ってか予定日を過ぎても気配がない。

先生は「大きくて大変だぞぉ」と笑っていた。

いつものように仕事をし、帰り支度をしているときにおしるしがあった。

前回は自然の成り行きを経験していないので、

本に書いてある通りのおしるしに慌てて病院へ電話を入れた。

「痛みが出てからまた電話してくださぁい」

という、看護婦さんの明るい声に安心し、今のうち今のうちと外食に出掛けた。

帰宅後も上の子の世話はだんな様に任せてゆっくりお風呂に入り、出産に備えた。

気がついたら、朝だった。

一晩ゆっくり熟睡出来たらしい。

規則正しい陣痛に目を覚まし、病院へ向かった。

前回だんな様は横浜だったので、「おめでとうございます」の瞬間を味わえなかった。

でも今度こそは自営の強み、何をどうやってもその瞬間にいてくれる・・・と、思っていた。

それが、後で聞いた話、

「俺は当然いるつもりだったんだけど、お義母さんが2人で待ってても仕方ないから帰ってていいよって」

帰す方も帰す方だが、我が子誕生の瞬間に客の来ない店に戻る方も戻る方である。

・・・呆れて、笑うしかなかった。

分娩台に上がってからの時間はまたしても短く、3926gの男の子を無事出産。

前回とは違い、お産直後の身体がすごく楽だった。

それなのに、また点滴で2日ほどつながれたまま。

今回は、出血がおさまらない。

子宮の収縮が悪いと、アイスノンをお腹に直接巻き付けられた。

その痛みたるや、お産と違っていつまで続くかわからない。

見ていた母も、「お産より大変そうだねぇ」となす術もなくため息をついていた。

やっと、点滴がはずれて日中ベット脇に赤ちゃんを連れてこれるようになると

新生児室で看護婦さんから我が子を受け取る。

その時の看護婦さんの言葉・・・

「やぁだ、この子もう首座ってるよぉ」

ははっ、確かに回りの赤ちゃんと比べると一回り大きいけどねぇ。

 

1995年1月26日、二つ目の宝物が我が家に加わった。


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