
高等学校 〜それはその後の私の人生を大きく左右するものになった〜
私の高校進学を綴るには、兄の説明が必要になる。
兄は自力では通うことの不可能な程遠い高校を選んだ。
事実、私たちの中学創立以来初めての進学者だ。
そして私がまたその高校を選んだことにより、女子で初めてと言われた。
自力で通えない原因は、田舎故の交通機関の乏しさにあった。
朝、隣町のバスターミナルまで行く手段がないのだ。
必然的に親の力を借りるわけで、その朝夕の送迎は無口な父が
「心配するな」と一言、買って出てくれた。
逆に言うと、親もそこまでしてでも行かせたい学校だったのであろう。
それ程までしてその高校を選んだ理由。
1つは、近隣ではまぁ名の知れた進学校の1つだったこと。
そして何より、兄が目指した甲子園に手の届きそうな高校だったことが大きかった。
それからの3年間、我が家は完全に兄中心の生活となった。
特に送迎担当の父は、仕事のスケジュールまでも全て兄に合わせた。
打てなくなれば夜2人で庭に出て、近所迷惑にならぬようにと丸めた新聞紙でトスバッティングをした。
家中が期待していた。
そんな兄が、足の怪我が原因で選手生命をたたれ、自暴自棄になったことがある。
本人はもちろん、両親の落胆ぶりは痛々しいものだった。・・・もちろん私も。
「出られないなら辞める」と学校も休むと、同級生の部員が全員で訪ねてきた。
「監督に、間違ってもバイクなんかで行くなよって言われて、みんなで間違っちったぁ!!」
と笑う坊主頭のお兄ちゃん達がすごく素敵だった。
学校にも部にも戻った兄だが、選手として大会に出ることは出来なかった。
しかし、ブルペンキャッチャーとしてベンチ入りし、最後の夏の大会の開会式では
プラカードを持って行進させてもらったこと、特に父は感無量だったようだ。
そんな姿を見ているうちにいつしか、私も同じ高校に入学して野球部のマネージャーになる事を夢見るようになった。
兄が果たせなかった甲子園への夢をマネージャーとして果たすと。
それが私の場合、少しキツイ選択だった。
中3になって進路の希望を出した頃、2年の時の担任がわざわざ廊下で私を呼び止め
「悪いことは言わないから、ランクを下げろ」とのたまった。
大きなお世話だ。
しかし、3年当時の担任の先生は、私の決意を理解し応援してくれた。
2年の時と3年の時の担任の先生がもし逆だったら、私は進学できなかったであろう。
それ程2年の時成績は落ち、両親を心配させ私も自信を失った。
私には少々キツイ高校受験だったが、なんとか無事通過。
その時点で、私にとっての高校生活は野球部のマネージャーとして部活に参加することが全てとなった。
そして入部初日にして、運命の出会いをすることになる。
![]()